「自分が好きなことを、人の迷惑考えずにやっている人だ」その人を見て思った。
高野山で参拝を終え、高野山鉄道で大阪に向かっていた。電車の窓に広がるのは単調な山々。僕の目は山々ではなく、楽しかった旅の思い出の残像がうつっていた。
高野山に参拝に行った理由は、お遍路の旅を終えて、高野山にお礼参りするためだ。四国八十八ヶ所すべて巡りを終えると、高野山にお礼参りに行くという習わしがある。今も高野山で瞑想している弘法大師さまに、無事旅を終えたことを報告することが理由だ。
人生で一番楽しかったともいえる遍路の旅。高野山でのお礼参りも終え、旅の余韻に浸っていた。
僕の見る電車の窓には、旅でお世話になった人々のすがが映っていた。時間を立つのも忘れて景色に見入った。
そんな時、突然電車の中でかぐはずのない匂いが漂ってきた。
「なんのにおいだろう」
電車は普通車で、座った席は4人がけのボックス席。あまり混んでいなかったため、一人で席を陣取っていた。立ち上がり後ろの席のボックス席を見る。そこで信じられないものをみてしまった。
歯のほとんどない爺さんが、歯の隙間に器用にタバコを入れて吸っている。
歯は上と下で互い違いになっているようにみえる。まるで、閉じたトラバサミのように、噛み合わせるときれいに一列になる。そんな歯だった。
しばらく観察していると、たばこの先を軽く指でたたき、電車の床にそのまま灰を落とした。
最初は自分が悪いと思った。タバコを吸えないにもかかわらず、喫煙車に乗ってしまったのだと。でも、よく見ると喫煙禁止マークが隅のほうにはってある。高野山鉄道特急車の一部に喫煙車はある。普通車にはない。
この人は、禁煙の普通車に乗り、タバコを吸いつつ、タバコの灰を電車の床に落としている。
ふつふつと怒りの感情が湧いてきた。歯のない爺さんは、向かい側にいる女性に話しかけている。女性はすごく嫌がっていて、ボックス席の隅のほうに縮こまっていた。
ついに怒りが限界に達して、電車でタバコを吸う歯がない爺さんにアルマゲドン(決戦)した。
歯のない爺さんの目をみながらこう言った。「ここ、禁煙車だよ!」
僕の大きな声に少したじろいだが、歯のない爺さんはニヤニヤ笑いながら、「おおーすまん、すまんと」と言い、吸っていたタバコを床に落とし、足で踏みつけ火を消した。吸い殻はそのまま放置。呆れて物が言えなかった。
電車内の迷惑行為ランキングで、タバコを吸う人がランキングに入っていないのは、あまりにもレアケースだからなのかもしれない。
その後、嫌がる女性に無理やり話題をふって、一人で楽しんでいた。会話の内容は、「おれは、昔すごかったんだ。松田◯子とつきあっていたんだぜ」聞こえてくる断片的な会話をきいて思った。
松田◯子さんが、電車でタバコを吸う、歯のない爺さんと付き合うことは絶対にない。
歯のない爺さんは、自分が好きなタバコを吸うという行為を、人の迷惑にかかわることを気にせず、自分が気持ちよくなるためにやった。ある種、好きなことを自由にやったたけでもある。
この話を思い出しながら思ったことがある。
「人に迷惑をかけてもいい。好きな仕事をしよう。なぜなら、人にたくさん迷惑かけて生きてきたから」最近よく聞く言葉だ。
たしかにそうかもしれない。自分が子供から大人になる成長過程で、人に迷惑をかけてきた覚えはある。大人になってからも、少なからず迷惑をかけた覚えはある。
それがビジネスで通用するものなのか。
好きな仕事をするということは、事業をしたり、会社をつくったり、自分が好きなことをやりながらお金を稼ぐことを指しているのだろう。
人に迷惑をかけるということは、誰かが迷惑を受けることになる。納期に間に合わない。支払いが滞った。約束の時間に遅れる。いろいろ理由はあると思う。一度や二度なら、もしかしたら、許されるかもしれない。
でも、迷惑をかけられるたびに下がっていくものがある。信頼だ。
信頼とはドミノを並べるようなもの。
少しづつ時間をかけてドミノは並べていく。一気に並べ終えることはできない。信頼も同じように、時間をかけて積み重ねていく。少しづつ積み上げていくもの。一気に増えることはない。
人に迷惑をかけるということは、信頼をなくしていくということ。ドミノを一つ倒せばすべてが倒れるように、信頼も一気になくなることがある。
もちろん、仕事を続けていくということは、いやでも迷惑をかけることがある。その時許されるのは、その人との積み上げた信頼があるからだ。
ドミノを並べるうちに、倒してしまうこともある。そんな時、すべてが倒れないようにストッパーをおいておく。
それと同じように、信頼を積み重ねていれば、信頼というストッパーが働き、この人は信頼できるから大丈夫。積み上げてきた信頼がある。と継続して関係を続けていける。
なんの信頼もない人に迷惑をかけられたら、その時点で関係は崩壊だ。ドミノを並べる間もなく終わっている。
やりたい仕事をやってもいい。でも、いやでも人に迷惑をかけるときが来る。その時のために、迷惑をかけないよう信頼を積み上げていく必要があるのではないか。
ドミノをみんなで協力して並べるように。
歯のない爺さんのように、人に迷惑をかけて、自分が気持よくなる行動と、「人に迷惑をかけてもいい。好きな仕事をしよう。なぜなら、人にたくさん迷惑かけて生きてきたから」という考えは、どちらも似たようなものなのかもしれない。
どちらも、迷惑をかけた側が一時的に利益を得て、迷惑をかけられた側が損をする。
結局、自分だけが得したいだけだ。
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