「一度きりの猫生、やりたいことをやって楽しまなきゃ損」そんな言葉がよく似合う猫だった。
鼻の頭からお腹、手足が白色で、後は茶トラ柄。正面から見ると、白いおにぎりが顔に浮かぶ、茶白の猫チャコ。
よく鳴き、よく遊び、よく遠出をし、寝たい時に寝て、食べたい時に食べる、そんな猫だ。
家で飼った一匹目の猫が、人間嫌いかつ猫嫌いの無口で、寝てばかりのグレーの猫だった。それが理由か、良く鳴いて、よく遊んでくれて、明るい色の猫がほしかった僕にとって、チャコは理想といえる猫だった。
チャコは人懐っこく、よく鳴きながらスリスリをしてくれる。猫友達とも喧嘩せず仲良くしていた。餌を食べたい時要求がとうらないと、カリカリの袋を破って自分で食べていた。
テリトリーが以上に広く、家から100メートルぐらい先にある学校の近くでチャコを見ると、チャコではないそっくりな猫だとよく思ったものだ。
チャコと僕には変わった習慣がある。
夜、僕がお風呂に入る時、当たり前のようにチャコは後ろからついてくる。もしくは、チャコの方から「早くお風呂に入れ」と鳴きながらスリスリ攻撃をしてくることもあった。
チャコはお風呂場にある洗濯機の上にすわり、風呂から上がる僕をじっと待っている。風呂から上がると、激しいスリスリをするか、激しく鳴き出し、ある要求をする。そんなチャコをじらし体を拭くことを優先していると、待っていられす噛み付いてくることもあった。
要求を飲んで、チャコ専用のクシを手に持ち用意すると、チャコは洗濯機の定位置に座る。クシを使ってチャコの首の根元からアゴの先まで、ブラッシングをしてあげるのだ。これは、ほぼ毎日の習慣で、毎日チャコはよだれをたらしながらゴロゴロ喜んでくれる。ブラッシングが終わって、チャコは僕の布団の股の間で眠りにつく。
チャコは老化を感じさせない猫だった。何年たっても若いまま。
「チャコも老いたな」と思ったのは2回だけ。
お風呂場の洗濯機にジャンプする時、一度で洗濯機に上がっていた。ある時から、洗面台を経由して洗濯機に上がるようになった。それと、歯が一本だけ抜けた時。
それ以外で老化を感じさせない元気な猫だった。見た目は、ずっと若いまま。風邪を引くこともほとんどなく、病気をすることはまったくなかった。猫病院にお世話になることもない。
チャコが家に来て10数年ぐらいたったころ。その時が来た。
珍しく体調が悪そうだった。毛並みが悪くなり、体はやせ細り、外に出歩くことはなくなり、寝ていることが多くなった。くしゃみもよくして、鼻水もダラダラ垂らしていた。
家族全員は思った。「チャコが珍しく風邪引いたと。ほっとけば治る」と。病気知らずの元気猫だったので、それが最期のサインだと気づかなかったのだ。
症状はなかなか治ることがなく、リビングの定位置から動かなくなっていた。餌もあまり食べることなく。そんな状態が1週間は続いた。
チャコは珍しくお風呂場の足ふきマットの上で香箱座りをしていた。
朝家から出かけようとしていた所だった。「最近、寝てばかりで動くことがなかったので珍しいな」と思った。
チャコが僕を見る目は、目を細くして、優しそうな顔をしていた。ただの細めではなく、猫を飼っている人ならわかる、リラックスをしている時、愛情表現をする時のような細めだった。時折、口を開いているような気もした。
その優しい顔は、生きたチャコを見る最後の日、最期の姿となってしまった。
家に帰るとチャコは固くなっていた。眠るように亡くなったそうだ。最期を看取ることはできなかった。
母に「なぜ、お風呂場に連れて行ったの?」と怒られた。体調のわるいチャコを、寒いお風呂場に移動したと思っているのだ。チャコは僕が移動したわけではない。自分の意志で移動したのだ。
たしかに不思議だった。チャコはほとんど動くことがなかったのに、なぜ、最期の時をお風呂場で過ごしたのか。
チャコが僕を見る優しそうな顔を思い出し、ピンとくるものがあった。お風呂場にいたのも納得できる。
足拭きマットに座っていたのは、もう洗濯機に登る力が残っていなかったため。口を開いたのは鳴きたいけど声が出なかったため。僕を優しく見たのは、いつもの要求するため。
チャコはやりたいことをやって、好きに生きて、そして亡くなった。自分のやりたいことは全てやった。だからもう望むものはない。
最期にほしかったのは、愛情でも、晩餐でも、旅行でもない。いつもの毎日の習慣。
チャコが最期に望んだのは、当たり前の習慣。いつもどうりの寝る前の習慣。僕からのブラッシングだったのではないか。
ただの眠りではない。最後の眠りだ。
チャコは死期をさとり、最後の力を振り絞って、僕に要求をしようとしていたのだ。もう目覚めることのない眠りに備えて。
チャコの最期に学ぶことはたくさんある。
人もやりたいことをやり、生きたいように生き、毎日を楽しんで生きれば、最後に望むものは何もなくなり、当たり前のような毎日の習慣だけを望むのではないか。
いつもの食事。いつもの睡眠。いつもの生活。いつもの歯磨き。毎日当たり前のようにやっていること。
最期だから、特別な旅行も必要ない。最期だから、特別な食事も必要ない。最期だから、特別な愛情も必要ない。いつもの毎日でよい。
終わりが特別である必要がないと。
僕はチャコの最期の要求を叶えてやることができなかった。今でも後悔している。
チャコの最期の眠る姿は、右手右足、左手左足、を交互にして、今にも歩き出しそうだった。元気な時の姿を見ているようだった。
チャコは口を開いたまま亡くなっていた。最期の望みを叶えてあげることができなかった僕に何かを伝るえように。
固くなったチャコを優しくさすると、チャコはこう言っているような気がした「後悔はない。これでよかったのだよ」と。
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