残りわずかの命、伊勢神宮に行くことに決めたスピリチュアルな魂

スピリチュアル
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伊勢神宮の遷宮の年。夏の暑い日だった。伊勢神宮の遷宮を見たい。旅のきっかけは、ただそれだけ。旅のプランでは、一人旅のはずだった。途中でまさかのあいつが割り込むまでは。

伊勢神宮の遷宮を簡単に説明すると、アマテラス様を祭る内宮と、豊受大神様を祭る下宮を、20年ごとに全てを壊し新しく社殿を造り、神様を移動すること。

貧乏旅行の足は青春18きっぷにかぎる。東京の中野から、鈍行のみでひたすら伊勢神宮まで向かう。総移動時間は約10時間。

ちなみに青春18切符とは、JR線の普通・快速列車を自由に乗り降りできる切符で、年齢にかかわらず誰でも利用ができ、11,850円で5回分利用できるお得な切符。

朝一番、始発の電車に乗るため、前日から荷物をまとめ早めに就寝。荷物といっても、洗面用具と着替えぐらいだが、バックパッカーの血が騒ぎ、登山用の大きなバックパックをわざわざ用意。

夏の朝陽が差し込むのは早く、太陽の日差しを浴びるとともに起き、自宅から歩きなんとか始発に間にあう。伊勢神宮に行くだけあって、アマテラスさんに起こされた気分だ。

始発に乗ってしまえば、乗り換えを気をつけひたすら耐え忍べば、伊勢神宮に到着する。

「伊勢神宮まで暇だな。何していようかと」と考えていた。荷物の確認をした時、ふと視界に何かの違和感を感じた。

「なんだろう」と、バックパックの側面を見てみると、セミが張り付いてる。そう、セミである。セミがは喋ることもなく、鳴くこともなく、ただ、大きな黒い丸い目で、こちらを見ている。セミの目は全部が黒目なので、正確に言うと、こちらを見ているかはっきりはしない。ただ、何かの強い意志を感じる目である。

相手が見るので、僕も張り付くセミの目をじっと見つめる。不良のにらみ合いのような感じだ。どっちも一歩も引かない。人対昆虫ではあるが。

始発とは言え、中野から中央線での移動中には、まあまあの乗車客がいる。周りから見ると不思議に見えたのか、無言のセミとにらみ合う僕の姿を見て、乗客の高校生がこらえきれず笑い始める。

「よっセミ、笑い取ったぞ」朝から少しうれしい気分になった。

新宿駅に到着。外の空気を吸えば、セミも飛び立つだろうと考えた。セミはバックパックをしっかり抱きしめたまま離さない。その後、中野、新宿、品川を経て、東海道線に乗り換える。セミは乗り換る気は無い。

別に迷惑をかけられているわけでは無いので、無理やり捕まえて、途中下車させる気はない。もし、電車の中で、「ミーンミンミン」、「ツクツクボーシ」と言い出した場合は、強制的に降車するようセミに念を押した。

電車の中でこのセミは、どこに行きたいのだろうかと考える。

中野から乗車したことを考えると、田舎暮らしに憧れていた、都会暮らしに疲れたオタクが、同僚との意見の不一致から勢いで会社を辞め、行き当たりばったりで、とりあえず田舎の有りそうな西に向かう電車に乗った。そんな、想像を膨らませていた。

夏休みの時期とは言え、朝の通勤ラッシュの時間帯になると混み合ってくる。セミはその時どうしたかと言うと、側面に張り付いていたが、バックパックの上部の安全地帯に移動して、ラッシュの難を逃れている。セミもラッシュはきついようだ。

伊勢神宮まで18切符で行くにあたって、何度かの乗り換えがある。乗り換えの間隔が短いため、電車の扉が開いた瞬間、同じく18切符で旅をする人達が一斉に走りだす。一本逃すだけで、旅のプランが大きく変更されてしまうので、みんな必死になるのだ。

その乗り換えのタイミングで旅人に声をかけられる。

旅人「きっきっきみ、せっセミが付いているよ」あまり見慣れない姿に、笑いをこらえている。こちらも急いでいるので、「友人です」と一言伝え、足早に乗り換えの電車に急いだ。

何度かの乗り換えのタイミングで、外にでる機会はいくらでもあった。セミは無言のまま、僕からの乗り換えを拒否している。

名古屋を過ぎ三重に入ると、ラッシュは落ち着き、のどかな景色が迎えてくれる。セミは降車する気も、鳴く様子もない。気づいたら、約10時間電車の旅を終えて、伊勢市駅に到着した。

電車を降り歩き出すも、セミは張り付いたまま。コンビニで食事を買い、外宮へ向かう。駅からは近いので歩いて向かった。

鳥居の前まで来て、セミがいることを確認。一礼をセミと一緒にして鳥居をくぐる。正宮の豊受大神宮までたくさんの神社がある。行きたかった場所をを行き正宮で参拝。セミの幸せを祈る。伊勢神宮外宮の中にも、セミの仲間達の声がたくさん響いている。

外宮をでて鳥居に向かって一礼して、今夜の宿泊地、伊勢神宮内宮前にある、伊勢神宮会館に向かおうとしたその時、バックパックにセミがいないことに気づいた。一人と一匹の旅は、ここで終わったのだ。

鳥居をくぐる前まで一緒だったのを確認している。参拝を終えて、鳥居を出たらいなくなっていた。きっと外宮のどこかで飛び立ったに違いない。

セミも、伊勢神宮の20年に一度の大きな祭りの時、お伊勢参りに行きたかったのではないか。「自分で飛んで行けばいいじゃないか」と思ったが、セミの飛び続ける力も、そんなに長くは持たないと思う。人に「歩いて伊勢まで行け」と行っているのと同じだ。

そう考えると、なんて頭の良いセミだろうか。たまたま、歩いていた人間を、タクシー代わりのように乗って、伊勢神宮まで行くなんて。

セミの前世は、遷宮の年に伊勢神宮に行きたがる、信仰深い人間だったのだろうか。もし輪廻転生があるとして、僕自身がセミという姿になることがあるかもしれない。セミになっても、お伊勢参りに行く、信仰の深さは失わないでいよう。旅をともにしたセミの事を考えながら思った。

一緒にセミと半日近く旅をした。僕にとっては短い時間でも、セミからしたら一生の内のかなりの時間となる。もう残りの命は長くないかもしれない。

セミは、電車代を払うこともなく、僕という人間に乗った料金も払うことなく、旅立っていった。

何事もなく伊勢神宮外宮にたどり着いたということは、伊勢神宮御祭神豊受大神に歓迎されたということだろう。残りの余生を神と共の幸せに過ごしてほしい。

青春18切符での長い旅は、一匹のセミのおかげで、退屈することもない刺激的な旅へと変わったのだった。

帰り道、再乗車されることはなく、一人で帰った。

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