お遍路の心霊体験。岩屋寺で耳鳴りキーンが止まらない恐怖

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「このままじゃ、間に合わないかも」45番札所岩屋寺に向けて、遍路道を速い歩調で歩いていた。

歩きでのお遍路も、札所の数で言ったら中盤戦。これまでの経験で急ぐことによって足を痛める可能性がある。歩くペースを早めることは極力しなかった。今回は勝手が違った。

僕は納経帳を持っていた。お寺の納経所が閉まる前に、到着する必要がある。納経所とは、納経帳に御朱印をしてくれる場所だ。

今の時間は17時少し前。納経所は17時に閉まる。更に足を早めた。

冬の寒い時期だった。岩屋寺のある久万高原は、温暖な四国の割にはかなり寒い場所。標高は700メートル近くあり、冬になったら雪が振り、除雪車が来ることもある。寒い理由も納得だ。

外からの冷気と、内から出る熱気で、僕の体はちょうど良い湯加減のお風呂のように、ほどよくほてり体調も抜群に良かった。

早める足の負担を、ふかふかの遍路道の山々が、綿毛のように吸収してくれた。

遍路道をあるき続けると、岩屋寺の敷地に入る目印なのか、遍路道の端に「ここから修行場」と書かれた石碑が置かれている。

山門から入る場合は、国道の道路沿いからはいる必要がある。歩きでのお遍路で、極力昔ながらの遍路道を歩くことにこだわっていた。そのため、山門から入ることはなかった。

そのまま石碑の横を通り過ぎ、岩屋寺の敷地の中に一歩足を踏み入れた。

その瞬間「キーン、キーン、キーン」と、永遠に鳴り止むことのない鐘のような、強烈な耳鳴りが始まったのだ。岩屋寺に足を一歩入れた瞬間からだ。

「なんだこれ」耳鳴りがすごすぎて、立っていることも辛くなり、座り込みそうになる。耳鳴りだけではなく、頭もガンガンする。

岩屋寺境内の中を見ると、何人かお遍路さんらしき人、観光客のような人がいる。耳鳴りのせいで苦痛に顔を歪めている人はいない。僕だけに起きている現象なのかもしれない。

耳鳴りは鳴り止まない。耳の中でなっていると言うよりは、頭の真んから外側の頭蓋骨に向かって、中からトンカチで「ガンガン」叩かれているような感じだ。

納経所が閉まってしまうのでさらに急いだ。耳鳴りがすごくバランス感覚が崩れ、酔っ払いのように千鳥足だった。納経が終わると、岩屋寺をゆっくり見ることもなく、まっすぐ山門へ急いだ。

岩屋寺は見どころが多いお寺だ。ニューヨークタイムズ紙が発表した(2015年に行くべき場所52選)に、日本で唯一四国を選び、お遍路や道後温泉を紹介した。紹介に使われた写真が45番札所岩屋寺だ。

古くから修験者の修行場として使われており、弘法大使や一遍上人が修行し、様々な伝承が残っている。

岩屋寺をゆっくり見るのを楽しみにしていたが、この謎の耳鳴りが続くようでは、観光など楽しむことはできない。お寺を出て、ゆっくり休める場所を探そうと考えた。

山門の入り口がが見えてきた。早足で足を一歩山門から出した。

そのとたん「えっ」と思った。突然耳鳴りが、ピタリと止まったのだ。

思わず振り返る。山門は大きな口を開けて、なにごともなかったように僕を見ている。別に変わったところはない。

変わったのは、僕の耳鳴りだけだ。

耳鳴りがやんだからと行って、もう一度山門をくぐる勇気はなかった。そのまま三坂峠まで歩いた。それ以降なにか変わったことが起こることはなかった。

後々、歩き遍路中にあった人にこの話をすると、岩屋寺は有名な心霊スポットだと聞かされた。

この出来事があってから数年後に、再び岩屋寺を訪ねる機会があった。その際は、遍路道ではなく山門から入った。耳鳴りが起きることもなく、なにか特別なことが起きることもなく、観光を楽しむことができた。

遍路道から入ることが失礼にあたったのか。裏道から入るのはよくないのか。そんなことを思った。

もしかしたら、なにか霊現象が起きる前触れで、それを回避させるために耳鳴りがなった可能性もある。ただの偶然だろうか。偶然にしては出来すぎている気もする。

今でも思う。岩屋寺にはなにかがあると。

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