年齢聞いて「苦労していないね」と言う人に学んだ苦労は買ってもするな

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「年齢いくつですか?」僕は聞かれて正直に年齢を言った。「へぇー、苦労していないですね」その人は静かに言った。この人は何を思って、「苦労してないですね」と言ったのだろうか。

僕は年齢よりかなり若くみられる。20代前半ぐらいまで高校生に間違われ、20代半ばで大学生に間違われるようになり、それ以降はずっと大学生のままだ。「今大学何年生なのだろうか?」なんて思ったこともある。最近は少し成長し、20代半ばから後半に見られることも増えてきた。

「若い」「えっ、全然みえない」「嘘でしょう」同じような反応を、年齢を言う度見てきた。年齢より若く見られることに悪い気はしない。

見た目若く見えることが原因なのか、タメ口で話しかけてきた大学生が、年齢を言ったとたんに敬語に変わることがよくある。タメ口で話しかけてきて、年齢を言った途端に敬語になるということは、同い年か年下に見えて、気軽に話しかけやすく、仲良くなるためにタメ口で話しかけてきたのだろう。見た目若くみえることは、若い人と付き合う上でもメリットがある。

必ずしもメリットばかりではない。一部の人だけだが年齢を聞いてきて「苦労してないですね」と言ってくる人がいる。その言い方も、男性と女性で若干言い方がかわってくる。

女性の場合は年齢を聞いた後、話も一区切りついてさよならの挨拶をして帰りはじめたときに、聞こえるか聞こえないかの距離ぐらいになってから、「あの人、苦労していないね」と言って、一緒にいる人に同意を求める。その相手は「ねっ」と同意する。

男性の場合は、年齢を聞いた後すぐに「苦労してないな」と直接言ってくる。もしくは、話も終わったころに、一人ぼそっと「苦労してないな」と独り言のようにつぶやく。男性の場合は、年上の人のほうが「苦労してないな」と言ってくる確率が高い。

男女問わず「苦労していない」の言い方は、文章で表現するのは難しいが、決して良い言い方ではない。なにか、いやみったらしい自分を押しつけるような言い方が多い。

年齢という数字が増えるたびに、その数字に応じた平均年齢の顔にでもならないといけないのだろうか。数字に応じた苦労人の顔をしないといけないのだろうか。

年齢の割に若い人はたくさんいる。どういった人が多いだろうか。なにかで成功した人、華やかな世界にいる人、健康に関心がありアンチエイジングの知識がある人、両親がもともと若い人など、いろいろ考えられる。

僕の経験では、今幸せな人が、見た目の割には若い人が多い気がする。必ずしもお金を持っていなくても。

「苦労していないね」と言ってくる人は、苦労したからこそ幸せになると思い込んでいる、苦労イコール美徳だと思っている人なのではないか。

昔は丁稚奉公というシステムがあった。丁稚とは、若い頃から商店などで使いっ走りの仕事をし、3食の食事はあるが、給料なしで働いて技術を学び、最終的に暖簾分けしてもらうシステムだ。

暖簾分けしてもらうには、数十年タダ働きする必要がある。好きでもないことを何十年もタダ働きで働きして苦労しても、暖簾分けしてもらえるかどうかは確実ではない。暖簾分けしてもらうのは300人に一人ぐらいだそうだ。苦労して暖簾分けしてもらった人は良いかもしれない。でも、ほとんどの人は苦労に耐えられず辞めていく。

今で言ったら、ブラック企業に入社し、心の病気になろうが、パワハラされようが、サービス残業しようが、耐えて耐えて、やっと役職をもらうようなものだ。こんな苦労に意味があるのだろうか。ほとんどの人は耐えかねず辞めていくだろう。

苦労を買ってでもしろというが、そんなの迷信ではないか。苦労なんてする必要はない。苦労ではなく、自分が好きなことに挑戦すればいい。自分が好きなことを挑戦すれば、苦労と思えるようなことも、自分が好きなことに挑戦しているのであれば、苦労を苦労と思うことはない。自分が好きなことだから痛みがほとんどないのだ。苦労なんて買ってもするな。捨ててしまえば良い。

子供の頃、無我夢中で野山を駆け回ったり、みんなで校庭を走り回って遊んでいる時、好きなことして遊んでいた時、転んで怪我をしても、大きな怪我をしなければ、そのまま遊び続けた経験ないだろうか。それと同じである。

今幸せな人は、自分の好きなことに挑戦した人。まわりから見たら苦労しているようにみたえ時期があったかもしれない。でも、今幸せな人は、苦労を苦労と思わない心を持った、自分の好きなことに挑戦した人だ。

そんな人達はやはり、まわりからは苦労しているようにみえても、見た目が若い。今幸せになっているような人は、苦労しているときから若く見え、成功した後も見た目が若い。

苦労を苦労と思わない人には、苦労は顔や見た目にでない。

「苦労していないな」と言ってくる人は、苦労を幸せになるための美徳だと思っている。苦労が顔や見た目に出ていない人を、自分が思う美徳と結びつけ、実年齢より見た目若い人を、苦労していない幸せになれない人間だと思いこむのではないか。その結果、いやみったらしい自分を押しつけるような言い方をした、「苦労していないな」の言葉がでるのではないか。

僕は見た目若いおかげで、大切なことを教えられた気がした。

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