学級崩壊して先生は土下座した

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「学級崩壊すると、生徒の親達がが集まって、学級崩壊したクラスの授業見学にくるんですよ」私立の学校の教員をしていた彼は言った。その言葉の後「たまらないっす」と付け加えて言ってから静かにうつむいた。

とあるきっかけで出逢った彼は、学級崩壊したクラスの担任だった。その後、心の病気をわずらって、仕事を辞めてしまったそうだ。

彼のクラスの学級崩壊の原因がなんだったのかわからない。いろいろな理由が考えられる。心の病を持っている彼に向かって、原因を聞くことはできなかった。辛かった時のことを思い出させたくなかった。

もしかしたら、彼自身の教師としての実力不足が原因だった可能性かもしれない。生徒側に問題があったかもしれない。でも、学級崩壊した理由がどうであれ、その崩壊したクラスを親が集まって見学するのは、いったい誰のためなのだろうか。

生まれたての赤ちゃんパンダを見に行くように、みんなでバスツアーを組んで見学にでもいったのだろうか。「この学校には、私立の優秀な学校にもかかわらず、学級崩壊させてしまった教師がいるんですよ。みんなで見に行きましょう」先生は人間だ。客寄せパンダではない。

彼にも人間としての心はある。学級崩壊させてしまった責任、まわりの同僚の視線、学級崩壊した上での親の見学による羞恥心、心の病気になって当たり前ではないか。

学校主導で授業見学をさせていたのであるなら、これはもうパワハラとしか思えない。はずかしめを与えて学校を辞めさせようとしたようにしか思えない。そう考えると、授業見学をさせた理由も納得する。とても学級崩壊の対策立て直しのために行ったとは思えない。

終始うつむいて、目の力が弱っている彼の目を見て、思い出したことがある。同じような目をした人がいた。僕が中学生の時、学級崩壊したクラスの担任の先生だ。

それは、まだ学級崩壊という言葉が出てくる前の話だ。

 

田辺先生(仮名)は人気者。田辺先生の授業はいつもおもしろい。笑いのたえない授業だった。授業中にドラえもんのビデオを見るだけの授業もあった。特に見た感想を書くわけでもなく、発表するだけでもない。ただ、ドラえもんを見るだけだった。田辺先生のクラスの生徒は「いいな、田辺先生のクラス」とみんなに嫉妬されていた。

季節も移り変わり、僕は中学2年生になった。うれしかったのは、田辺先生が担任になったこと。うれしくなかったことは、ワルと言われる生徒が同じクラスに多かったこと。

通っていた中学は、県内最強レベルのワルの学校。まわりの中学校の生徒からは、「あの学校のまわりだけは歩くな。生きていたければ」と言われるぐらいだ。

暴走族が校庭をバイクで走り回るのは当たり前。少年院に出入りする生徒がいるのも当たり前。学校にお金を持っていく時は靴下に隠すか、靴下ではバレる可能性があるので靴の中に隠すのが当たり前。

そんな不良校も、僕の世代ではだいぶ落ち着いていた。同じクラスになったワルといわれる生徒も、ワルの中のワルではなく、ワルの中にいてはしゃいでいるのが好きなタイプのワル。「毎日楽しければいいんじゃね」が口癖のような人間が多かった。殴り合いや問題行動を起こすようなワルは他のクラスに行った。でも、はしゃぎたいタイプのワルはたくさんいた。

サル山のサルの群れのようなクラスだ。ワルグループは授業中にもかかわらず後ろの方に集まって、よくみんなでさわいで「キーッキーッ」言っていた。本当にサルのような感じだ。ワルが多かったけど、僕自身もはしゃいでいるのが好きなタイプだったので、ワルグループからは結構気に入られていて、うまくやっていた。

田辺先生の様子がおかしいと思ったのは、中学2年生に上がってすぐだ。「先生なんだがどんよりしている」僕は思った。

思えば中学1年生の半ばぐらいから、田辺先生のクラスの人から不満がでていた。「田辺むかつく」「田辺いやだ」「先生かえてほしい」なんでそんな不満がでるのかわからなかった。理由を聞いてもいまいちピンと来なかった。

田辺先生は、終始いらいらしている気がした。気難しい顔をして、目線が定まらない。うまく生徒がまとまらない時は、突然怒鳴りはじめることもあった。おもしろい話をし、いつもにこやかな田辺先生はどこかへ行ってしまった。

そんな田辺先生の状態をわかっているのか、わかっていないのか、ワルは席の後ろで騒ぎ放題。怖い先生のときだけ真面目にして、気の弱そうな先生や、田辺先生がいる時は暴れ放題。もう、学級崩壊の状態になっていた。

田辺先生はクラスをまとめようと、弱々しく怒鳴り声をあげていたが、サル山のサル達には効果なし。聞か猿だ。

学校の恒例行事、大縄跳びの縄を回す人を決めるためのクラス会が開かれた。田辺先生は「縄を回したい人手をあげて」と言うがだれも手を挙げない。誰もやりたがらず下を向いていた。先生は「指名でもいいよ」というが、それもみんな無視。しだいに先生はイライラしはじめたのか弱々しく怒鳴り声をあげるが、それもみんな無視。そのままクラス会は終了した。

その日の授業が終わり帰り際、「ちょっと話がある」と田辺先生に僕と友人は教室で呼び止められた。帰りの時間とはいえ、生徒はまだたくさん残っていた。そんな中、田辺先生は突然、右膝、左膝、両手を順番についてから、顔をあげて僕と友人の目をしっかり見た。

「頼む、一生のお願いだ。縄を回してくれ!」そう言うと、頭を教室の床に押し当てた。僕と友人は唖然としてその姿を見ていた。田辺先生は土下座をして頼んできたのだ。

僕が友人に「どうする?」と聞いた。友人は「やろうよ」と言った。僕も友人も田辺先生の様子がおかしくなっても好きだった。その心情が伝わっていたからこそ、僕らにお願いしたのかもしれない。

友人が「頭上げてください」といった。先生は「ありがとう」と大きな声で言って去っていった。田辺先生の土下座した姿は、教室の残っていた生徒にも見られている。

帰り道、友人は「田辺先生の姿を見てて辛かった」といった。同じ気持ちだった。

大縄跳びの行事は無事終了した。行事が終了したぐらいから、田辺先生の姿を見ることはなくなった。いつの間にか学校最強と言われている、オールバックで、サングラスをかけて、竹刀を持ち歩いている先生が、代理で担任をすることになった。

パット見は反社会派の人だ。最強の先生だけあって、クラスはまとまり、騒ぎは収まり、学級崩壊はなくなった。あくまで代理ということなのでいつか帰ってくると思ったが、その後田辺先生は僕が卒業するまで見ることはなかった。いろいろな噂が流れたが、心の病気にかかったという話が一番有力だった。

田辺先生は完璧主義な人だったのかもしれない。生徒が自分の思ったというりにいかないとイライラしてしまい、怒鳴り声をあげてしまう。ふだん温厚でニコニコしていて、面白い話ばかりしていたのに、そのギャップで生徒が離れてしまったのではないか。

しだいに学級崩壊していくクラスを見て、どうしていいかわからない状態になり、最後には自分を捨て、自分の羞恥心を捨てでもクラスをなんとかしようと思い、僕らに土下座したのかもしれない。

そこで、先生の張り詰めていた糸は切れて、病気になってしまったのではないか。

学級崩壊になった担任の先生と話をして、僕の時代の学級崩壊を思い出した。学級崩壊という言葉があったかないかで、学級崩壊の意味することは昔からあった。

今の時代だろうが、僕の時代だろうが、学級崩壊が起きて先生が一人で責任をおう必要性はないと思う。自分の心や体を壊し、自分自身を犠牲にしてまで、責任持って生徒と向き合う必要はあるだろうか。

サル山のサルなのだから、檻の外から見守ってればよかったのだ。自分を犠牲にして、サル山に飛び込み、サルに噛まれ怪我をする必要などない。檻の中で適度に暴れさせて発散させて、温かく見守っていればいい。自己犠牲は自分が苦しむことではない。

クラス全体で30人近い人間の人生を、先生一人で背負う必要などない。生徒の人生だ。生徒が責任を持てばいい。すべて手放して見守ればいい。先生は先生のやるべきことをすればいい。

自分が笑われるようなことはしなくてもよい。自分から檻の中に入って、客寄せパンダのように笑われる必要はない。自らサル山のボスになる必要もない。

完璧な先生なんてやめて、ゆるい先生でいい。だから、苦しまないで。

今の時代の学級崩壊の話しと、僕の時代の学級崩壊の先生の話を思い出して思った。

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