「サンタクロースはどんな人ですか?」と聞かれてイメージするのは、赤い服を着て、小太りで、白ひげで、プレゼントを抱え、トナカイ調教するおじいさん。
こんなイメージをするのではないでしょうか?
考えて想像できるのは、クリスマスがどんなものか、サンタクロースがどんなイメージか、人生の様々な経験で出来上がっているからでしょう。
12月のはじめになれば、街中にサンタクロースの格好をした人がたくさんあらわれます。両親がサンタクロースの格好をして、靴下にプレゼントを入れてくれた人もいるののではないでしょうか?
もし、サンタクロースを全く知らない人が、サンタの格好をしようとしたらどうなりますかね。
今回は日本で初めてサンタクロースになった人の紹介をします。
日本初のサンコス
1874年に原胤昭が宣教師から受洗し、感謝の気持ちからクリスマスを盛大にやろうと意気込んで、宣教師指導のもと張り切って準備に取り掛かる。サンタクロースはどうしようかと悩んだ結果。
裃姿に大小を差し、大森カツラを被った、殿様風スタイルとなった。このサンタ爺さんの役を勤めたのが、戸田忠厚(金沢殿町教会の伝道者)なる人物で、あとにもさきにも殿様サンタが登場したのはこの時だけのようである。
出典元:クリスマスどうやって日本に定着したか
裃が男性の和服の正装の一種で、大小を差すとは刀のことです。一言で言ったら殿様。サンタクロースの要素が全くない。
でも想像してみてください。日本で初めてサンタクロースのコスプレをしたのです。当時の人はサンタクロースなるものについての知識はなく、想像をするしかなかったのです。
「神様とはなんだ?」と想像したら、多種多様の神様を想像するようなもので、絶対的で唯一の答えがない。
きっとサンタクロースは偉い人なんだろう、偉い人繋がりで、よし殿にしようと決めたと想像します。
クリスマスの会場には、みかんで型取った十字架が天井から吊るし、米国公使館の人に怒られてしまいすぐに撤回されています。原は江戸っ子で、神田明神の祭礼を行うかのような気持ちでやったという話も残っています。
みかんで作った十字架というのは、今やったら評判良さそうな気もします。インスタ映えすると若者が集まりそう。
ちなみにこの翌年に、原胤昭主催でクリスマスが開かれ、日本人が主催した日本で初めてのクリスマスと言われています。
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