さとりを開いた行方不明のお遍路さんを探しに四国へ行った話

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「一期一会なんて言葉は好きにはなれない。縁はただの縁であり、縁は結ばなければ意味がない。善友と縁を結べ友よ」

四国八十八ヶ所巡りでお世話になった長五郎さん。自分の人生を変えたその人は、いつの間にか行方知らずの人になってしまった。

善友、長五郎さんとの出会いから、行方不明になった長五郎さんを探しに行った旅の記録をここに残す。

四国八十八ヶ所巡り歩いて結んだ縁

「料理の仕方なんてフライパンが教えてくれる」はじめて長さんに会った時、そんな言葉を言っていた。

大切な食料ペヤングを貸してみろと奪い、お湯でふやかした後、鉄の中華鍋でペヤングを炒めだし、たまたまあった野菜、マヨネーズ、調味料でさっと仕上げると、ペヤングがカルボナーラのようになった。

「どうしてそんなに料理がうまいのですか?」と聞いたら、「料理の仕方なんてフライパンが教えてくれる」冒頭の言葉が返ってきた。長さんの影響なのか、今住んでいる家で鉄の中華鍋を使っている。中華鍋やフライパンが料理を教えてくれたことはただの一度もない。

高知県と愛媛県の境、標高720メートル、お遍路さんの難所の一つ三坂峠。松山の夜景が美しいこの場所で、長さんは飲食店をやっていたそうだ。

飲食店以外にも、不動産投資、お店、投資をして稼いでいた。すべてを投げ出して裸一貫になり、持っている財産は別れた奥さんと従業員に分け旅人になった。飲食店の跡地は無料で利用できるお遍路さんの善根宿として開放した。

長さん(長五郎)と呼ばれているが、それはお遍路用の名前で本名は渡部さんという。長さんとは四国八十八ヶ所巡り、歩き遍路している時お世話になった。たまたま歩いた先に、三坂峠にある長さんの善根宿があったので泊まらせて頂いき、夜遅くまで語りあった。

お遍路さん向けに開放している無料の宿は方々にあり、あまりお金のないお遍路さんにとっては感謝の極みである。

「尊敬する人はいますか?」と聞かれたなら、複数の人間が同時に浮かんでくる。同時に浮かぶ人の内の一人が長さんだ。もちろん数々の偉人や、哲学者、親兄弟も尊敬してはいる。長さんに最上級の感謝をし、なぜ尊敬しているかについては、この記事の最後に書くことにしよう。

切れてしまった縁

長さんのことを思い出したのは、古い日記を開いたことが理由だ。日記のほとんどの内容は、くだらない時事ネタや、日々の一コマ、ほとんどが無味乾燥。読む価値がないものだった。

でも、昔旅したお遍路の旅の日記や、自分自身がそのとき思ったこと、そんな日記は自分の心を動かすきっかけになる。日記には長さんに逢ったときのことや、お遍路の旅行記が書いてあった。

今思えば、日記を開いた理由は、自分の人生が帰路に立たされていたからだと思う。なにか人生に迷ったりした時、尊敬する人に連絡をしたり、尊敬している人の本を読むことにしている。

久しぶりに、長さんに連絡してみることにした。

長さんに電話をすると、「こちらはソフトバンクです。おかけになった電話は電波の・・・」お決まりの文句の繰り返し。日をあらためてかけても、機械のお姉さんに感情の変化は無かった。機械のお姉さんが出るということは、電話番号は使えて、料金の支払いもされているはず。そのため、死を疑うことはなかった。

とはいえ「携帯の料金は別の人が払っている」と言っていたこともあったし、「電話もよく無くす」と言っていたので、どこかに無くしたまま放置して、料金は誰かが払い続けているという可能性もある。

知っているのは電話番号のみ。四国では有名な人で、当時僕が歩き遍路をしている時は、お遍路さんなら誰でも長さんのことをしっていた。知名度があるため、ネットで検索すればすぐ見つけられると考えていた。

ネットで見つけたのは、長さんが拠点にしていた三坂峠に新たな道路ができたという記事だった。記事には、三坂峠の旧道はほとんど車が通らなくなり、その一帯も無人の空き家が続き、更地が増えているという内容だ。

長さんとの出逢いの思い出

初めて長五郎さんとあったとき印象的だった話が、司馬遼太郎さんの話だ。司馬遼太郎さんが街道をゆくの取材で、三坂峠の善根宿で長五郎さんと一日話したらしい。善根宿のカウンターに座っていた司馬さんと同じ椅子に僕が座ったそうだ。

2回目の出逢いは、旅の途中に三坂峠に行った時だ。はっきりとは思い出せないがこんな話を聞いた。

千日回峰行をやった人に縁あって逢わせてもらい、緊張して何を聞いていいかわからなくなって、「腹減りませんでしたか?」と聞いて、もうちょっとマシな質問できなかったのかと後悔したという話だ。一切の食物、水を断ち、眠らず、横にならず9日間過ごしたのだから、おなかぐらいなったかなと想像する。

横須賀のどぶ板で、米兵相手に腕相撲で勝負して、お金を稼いでいたという話もしていた。話の後二人で腕相撲したが負けた。「腕相撲はな、相撲だから技があるんだよ」、「力じゃ負けるが、技じゃまけねえよ」と、技の指導を受けたのをよく覚えている。

3回目は鎌倉。鎌倉で長さんの友人が、陶芸の個展をやるので訪ねてきたのだ。久しぶりに逢い一緒に個展に行くことになったが、まさか、白装束に、バックパック、頭に般若心経のバンダナをつけて来るとは思わなかった。まわりの視線が痛々しかったのを覚えている。

一緒に個展を見て、長さんの友人にお皿をもらった。お皿の写真が古いブログにあったので、類似画像検索にかけるが引っかからない。作成者の名前、連絡先もわからない。昔ハガキが来たが処分してしまったので、この縁をたどることはできなかった。

鎌倉では小町通り沿いにある高級すし店に入った。長さんがおごってくれると言うからだ。寿司4貫、お酒を少々、二人で2万。僕はびっくりした。

「金は天から降ってくるから気にするな」と豪快に長さんは言っていた。どうやって稼いでいたことやら。

あくる日、長さんの親友の議員さんが選挙に出るため、その手伝いで横浜で再会。その親友とは血の血判を結んでいるらしい。血判を結んだ誰かが不幸になった時、その時充足している人が助けるという誓いだ。

その議員さんの家にまず一泊させてもらい百年の孤独を飲んだ。次の日に何かの選挙の手伝いをしたと思うがまったく記憶にない。覚えているのは議員さんと長さんが、神社に参拝している写真を見たことを覚えている。最終的に当選したようだ。

議員さんの苗字、大学名、住んでいる場所、を記憶しているのでネットで検索したら、よくある苗字だが、出てきたのは一人だった。すべて一致している。メールやフェイスブックで連絡してみたが今の所返信はない。人違いの可能性もある。忙しくて見ていないかもしれない。

4回目に出逢ったのは、選挙の後に利尻島に昆布とりの仕事をするとたびだった。昆布とりの仕事がおわり四国へ帰る途中、東京へよってくれて、カフェで話したのを覚えている。

その時、日記を預かり旅の記録を見せてもらった。必要なくなったら三坂峠に送ってくれと言われ送り返した。

坂本屋のブログにうつる長さん

昔の記憶を頼りに思い出し、長さんにと関連ある連絡できる人には連絡してみた。今のところ返事はない。

次にたよったのが、三坂峠のふもとにある坂本屋だ。坂本屋では、ボランティアさんが集まって、土日だけお遍路さんにお接待をする。ネットで検索したところ、長さんが坂本屋に行った写真がブログに載っていることがわかった。

坂本屋でブログ書いている方のコメント欄に長さんのことを書いたところ、仲間に聞いてくれるとのこと。坂本屋総会があり、そこで話をすると言ってくれた。その後も、いろいろ検索したり方々手を尽くした。SNSのコミュニティーに投稿したが、特に反応はなかった。

ネットで探したことをまとめると、三坂峠の前の道路は新しい道路ができたため、ほとんど車が通らなくなったが、旧道は通行は可能。

長さんの拠点にしていた三坂峠の家は、ある人のツイッターの画像でまだあることが確認できた。2012年に長さんに出会った人の日記がある。それ以降はネットでの情報は見つからない。

これだけ情報があるので、直接行けば足跡をたどれると判断をした。

生死にとらわれること

長さんの生死に一喜一憂する必要があるのだろうか?日記を見て視覚感覚にとらわれ、思考器官が行けと指令を出しているのだろうけど、これでは自分の心は目と同一だ。

最後に逢ったときに禅問答のような別れ方をした。その出来事が、長さんに最上級の感謝と尊敬をする理由になった。問いに対してわざわざ答え合わせをする必要もない。本当にわかったのであれば、誰にも質問することも、答えを聞く必要もなくなる。

良き出会いをし、しっかり縁を結び、そして別れた。只それだけだ。

長さんは旅をして、そのまま野たれ死ぬのが理想たと言っていた。執着する理由もないが、今回はコロコロ転がる心に従おう。なんの足跡も見つからず逢うこともできなければ、良い縁を結んだことに感謝するだけだ。

長さんを探しに四国へ行くときめた。

四国に行ってやるべきこと

やるべきことは三坂峠に行くこと。周辺の情報を聞くこと。坂本屋に感謝を伝えに行くこと。

旅行に行くのは何年ぶりだろうか。前は知らないものを見たり、知らない人と逢ったりすることが楽しくてしょうがない時期があった。いつからか外に求めていたものが内にかえり、内に求めていたものが外にかえり、とくにこだわりが無くなってきた。

三坂峠周辺をまわるだけなら半日あれば十分だ。せっかくだから観光もしてみよう。

図書館で観光ガイドを借りてきた。本に添付されているQRコードをスマホで利用すれば、丸ごと1冊無料でダウンロードできるようだ。便利な世の中だ。

松山の観光モデルプランは一泊二日。四国八十八ヶ所巡礼を歩きお遍路したうえ、しまなみ海道を自転車で走破していて、四国の行きたい観光名所はまわっていた。行きたいところが何一つない。ただ一つを除いては。

死ぬまでにやるべきこと

死ぬまでにするべきことを書きだしたことがある。順位をつけるなら、1位~4位まではかなっている。もしくはその方向に進んでいること。意外にやりたいことをやっていて、書き出すことに苦労をした。書き出してみると、自分の無欲さに呆れ、全然やりたいことないのかと自問自答した。

そして、5位が猫布団に入ることだ。

愛媛県には青島という、島民15人に猫100匹もいる猫の楽園がある。メディアにもよく取り上げられる。ニャンコ好きは一度は行きたい島だ。

青島の定期便は、
朝8:00発8:35着、8:45→長浜か、
昼14:30発15:05着、16:15→長浜の2便。

島に宿泊施設はないので、朝いった人も、午後行った人も、最終的に午後便で帰らなければならない。船の定員は34名。朝便で行った人も昼便で帰るので、実際に乗れるのは定員から朝便に乗って島に行った人を引いた数だ。朝満員だったら、午後は誰も乗れないのである。

この青島でいやというほど猫にまみれ、全身に猫に乗ってもらい猫布団に入ることが、死ぬまでにやるべきことの5位だ。

大体の旅行プランができてきた。土日の1泊2日あれば十分。

旅行プラン1日目
午前6時30分成田発愛媛行き。午前8時着。

どんなに頑張っても、自宅から6時30分に成田に着かない。そのため、前日成田空港泊。

横になれるソファーがあるので、野宿慣れしているから余裕だ。松山空港にて蛇口からポンジュースを飲む。

天候によるが、バスかレンタル自転車にて三坂峠まで行く。バスの場合旧道を走らないので、峠まで歩かないといけないため余計に時間がかかる。レンタルサイクルは1日300円で、クロスバイクか電動自転車を借りられる。三坂峠まで28キロ。距離的に余裕だが、720メートルの峠を簡単に超えられるだろうか?

バスの場合待ち時間があるので、自転車のほうが早い可能性が高い。昼前後に三坂峠に到着。

いろいろ探索して、夕方までに坂本屋にて話を聞く。そこからは自由行動。

わりと時間に余裕がある。どこで時間をつぶすかが迷いどころ。宿泊先は現地調達。最近は松山周辺にゲストハウスがたくさんできたようなので、そこで良いかと思う。

昔松山のユースホステルに泊まったことがあり、今はやっているかわからないが、スプーン曲げ講座なるものがあり受けた。宿のオーナーが先生で、スプーンを水平に持ち、タオルをかけて、「ではこれから曲げます」といい、本当にきれいに曲げた。ただ曲げる瞬間に「せいっー!」と気合を入れて、全身ぶるぶるしながら、力で曲げているようにしか見えなかった。超能力要素はあまりなく、いかに簡単に効率よく力を入れる方法論を学んだと認識。

旅行プラン2日目
始発電車で青島前の駅に向かう。そこでうまくいけば青島にフェリーで行き、ダメだったら臨機応変で観光。8時間猫にまみれ、15時青島発フェリー。夜までぶらぶらして、19時松山発で自宅。

1泊あれば十分楽しめるスケジュールだ。どんな旅になることか楽しみだ。

三坂峠での偶然の出逢い

時間は誰しも平等で同じなのに、どこかの誰かが時間は残酷だと言う。時間は残酷か、残酷と決める心が残酷か。

成田空港のソファーは適度にフカフカで、思っていた以上に快適だ。予定どうり初日の宿泊場所として利用させてもらった。問題なくぐっすり眠れた。lccも快適で今後も弾丸旅行で利用したい。

愛媛に到着しポンジュースタワーを横目に見ながら、リムジンバスで松山駅へ。目的のレンタル自転車屋さんで、1日300円のクロスバイクを借りた。しっかり整備されていて、なおかつタイヤがロード並みに細く、平地での速度が速すぎてビックリ。

峠のふもとまで一瞬で着いたが、720メートルの三坂峠の山は傾斜がきつく、途中から自転車押し歩きになってしまった。ヒッチハイクしようか迷ったが、さすがにクロスバイクと一緒に乗せてくれる人はいないだろう。山頂近くは桜が満開で、何か良いことがあると予感した。

目的地の三坂峠に着いたらビックリ、長さんの拠点の善根宿、どこかの誰かの会社になっている。どんなに検索しても出てこないわけだ。チャイムを押すが誰も出ず、あきらめ周辺を調べるも民家が一件。

帰ろうか迷っていると、偶然おじさんが出て来くる。その人に長さんのことを聞いたら、なんと30年近い仲の友人だった。プレハブに案内され、今回の旅の目的を話す。

長さんの知らなかった事実

偶然出逢ったその人の話だと、長さんの親族か親戚が、三坂峠の家を勝手に売ってしまったらしい。長さんは松山で一人暮らしをしていた。最後にあったのは3~4年前。長さんは携帯を持たない主義なので、かけた電話は彼女か誰かの契約番号だろうと。

長さんはもともと資産家の生まれであった。三坂峠の善根宿は、うどん屋長五郎という名前で人気があり、四国のTVでcmも流し客がたえない店だった。店を辞めお遍路さん向けに無料で宿をやり始めてからは、貯金を切り崩す生活になったそうだ。

何人も弟子をとって、三坂の善根宿に住まわせていたこともある。今回あったnさんの家で、弟子が働いていたこともある。最終的にお金がななくなり、生活保護を申請しようという話になった。

nさんが3~4年前最後にあった時は、ほとんど寝たきりで、玄関開けたらはって出て来て、挨拶したらそのまま布団に戻り寝てしまったそうだ。あんなに元気だったのに想像できない。

nさんとの話は1時間30分ぐらい続いた。その後「お前は心がキレイだから」という理由で、nさんのの軽トラに自転車を乗せて、前長さんが住んでいたアパートを案内してくれる事になった。

 

消えた足跡

長さんの家に向かう途中、四国霊場46番浄瑠璃寺に連れて行ってくれた。お参りをかねてお寺の解説もしてくれる。nさんはどこかのお寺で修行していたこともありかなり詳しい。よくお遍路さんの白装束を見つけたら、お接待することもあるそうだ。

ファミレスにて食事をごちそうしてくれ、長さんが住んでいると思われる家へ。到着した家は2階建の白い古アパート。2階に住んでいるそうだ。ドアをノックして名前を呼ぶが反応なし。

となりの住人に話しを聞くが、長さんの印象とは違う人が住んでいるとのこと。あまりコミュニケーションがないのか、ほとんど見たことがないと話してくれた。1階の人にも話を聞いたが、引越して来たかりで詳しくないという話。

長さんが住んでいたと思われる家は、青いビニールシートと新聞で目張りがされており、少しだけ窓があいていた。

nさんが「長さーん」と大声で呼ぶも反応はない。もしかして住んでいるかもしれないし、引っ越したかもしれない。しばらく様子をみるも反応なし。ここで足跡が途絶えてしまった。

nさんとはここで別れ、「もしなにかわかったら連絡してください」と連絡先をわたす。できることはしたがここまでだ。後できるのは連絡を待つのみ。

愛媛の人は優しい人ばかり

借りていた自転車は松山市内の4ヶ所の場所で自由に返却できる。グーグルマップを頼りに向かうと、まったく関係ない自転車屋に着いてしまう。道をたずねると、たまたまその場所を知る人がいて案内してくれる。お遍路のときもたくさん優しくしてもらったが、愛媛の人は本当に優しい人ばかりだ。

自転車を返した後、ゲストハウスに向かう。当日宿泊だがあいており、部屋を見るが今の所一人だった。目の前に温泉があり、ゲストハウス割引きで500円で入れるのでつかり、近所のスーパーにて道を教えてくれた人が、松山の鯛めしはうまいといっていたので、鯛めし弁当半額で購入。

ゲストハウスに戻ると大きいかばんはあるが、どこかいったのかだれもいなかった。その後大阪から来た人と話し長さんの話をしたら、「猫島でひょっこり会うかもよ」といわれ、猫島へ行く期待が膨らむ。

でかいかばんの持ち主はロシア人のかた。かたい握手をして話そうとするが、ロシア語不明で2分も話がもたない。

そして猫の楽園青島へ

朝早々とゲストハウスをでて、始発にて伊予長浜駅に到着。土日のため人が多く船に乗れない可能性もあったが、15人ぐらいでまだ余裕はあった。朝乗った人は下船15分で帰るか、8時間後の16時過ぎに帰るか選ぶことになる。当初の予定坂本屋に行く予定が、良いハプニングのせいか達成できていない。迷ったあげく15分で帰ることにした。

島に到着すると大量の猫達が出迎えてくれた。聞こえてくるのは猫の鳴き声ばかり。猫の餌やり場に向かいモフモフしまくった。ただ「カリカリ」という名のの武器を持たない僕は、武器持ちと比べると圧倒的に不利だ。武器持ちはひざにのったり、スリスリされているが、武器なしは触ると「フシャッー」される。それでも高速モフモフをして船に帰った。たった15分だが楽園だった。

下船から乗船まで、ずっと半笑いでニヤニヤしていて、傍目からはおかしい人にみえたかも。

みんな同じ猫仲間だから問題ない。だいたい15分で、50ニャンコ以上は出逢えたと思う。人生の目標の一つを達成したが、新たにもう一つの猫島、田代島にも行きたいという目標もできた。

 

目指せ坂本屋

島を出て再び松山に戻り、
クロスバイクを借りて坂本屋まで一気に進む。前の道より登りが緩やかなのか、かなり早く着いた。

頑張ったが休みだった。今日は坂本屋の総会で定休日と張り紙。サイトをみると全員参加で、ミュージカル見ていると。後々坂本屋の方に連絡取ると謝罪されてしまった。こちらが勝手に連絡せず急にいったにもかかわらず。きっと謙虚かたなのだろう。また四国に行くときは、次こそたずねたい。

いい感じに登ったので、クロスバイクでのくだりが気持ちよく、チャリダーさん達が苦労して峠を登る気持ちがわかった気がする。高性能な自転車で走るのは本当にきもちいい。自転車は機体性能差がすごいでる。ガンダムはそうでもないのに。

旅の終わりに

時間が空いたので、道後温泉に行き近所の神社をお参りした。観光案内所で「おしゃれなカフェありますか?」と聞いたら、ありますと力強く速答してくれた。そのカフェはもともと郵便局だったカフェで内装は和モダン。緑豊かな庭が印象的で、いつまでもコーヒー飲みながら庭を見ていられる。力強くおしゃれなカフェありますと言ってくれただけある。夕方のバスで飛行場へ。

ポンジュースタワーを眺めていると、「これポンジュースじゃなくて普通の水だよ」と、夢のないことを5歳ぐらいの子がいっていた。

愛媛の蛇口からはポンジュースがてて、お風呂もポンジュースと信じたい。ジェットスターのオレンジジャケットは、あまりカッコよくないと思っていたが、愛媛ではむしろオレンジ色がよく映え、
そのままポンジュースのキャンペーンができそうだ。

飛行機で成田、そして自宅へ。

ありとあらゆる縁に感謝

長さんを探し始めてから、2週間の出来事を書きとました。nさんの話だと、今だ長さんに逢いに来る人という話だ。今回の旅で住んでいた家を見つけることはできた。今も住んでいるかも知れないし、
引っ越したかもしれない、
もう亡くなっているかもしれない。

できることなら長さんが好きな言葉、「世界のかたすみで輝く」この言葉の通りに元気でいてほしいと望む。

もしあえたらきっと、「俺の生死にこだわるな」と言いながら、満面の笑顔で喜んで出迎えてくれただろう。

尊敬する人がいるということは、この人ならこんな時にどうするかと、リアルに考えることができる。そんな人が多い自分は、きっと運が良いのだろう。もうできることはやったので、長さんに生死に一喜一憂せずにいようと思う。

もちろん見つかった時は、きっと真っ先に逢いに行くだろう。

最後に長さんの何にに感謝したかというと、

最後に会った時の別れ際、「お前を友と思うし、信頼しているからやるんだぞ」と言い、中指を一本立て、「お前ならわかる。認識しているものが違う」と言い四国に帰って行った。

最初は何のことかわからなかった。この出来事から数年後、心のそこから感謝することになった。

長さんが何を言いたかったのか、何を知ってほしかったのか。もう答えあわせをすることは出来ない。する必要もないだろう。心と心でたしかに伝えあい、縁を結んだのだから。

お世話になったありとあらゆる縁に感謝。

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