日本一美しい絶景の混浴温泉が教えてくれた、宇宙一美しい人間の心

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日本一美しい温泉が教えてくれた、世界一美しい人間の心

「明日までに、混浴で女体を拝む」僕は力説した。

「もう無理じゃない。台風だし」ゲストハウスの仲間は、ドラゴンフルーツを切りながら返事をする。

屋久島に来て約2週間。行きたい場所は行った。1ヶ所だけ行きたくても行けない場所がある。

その場所は、屋久島にある平内海中温泉。普通の温泉ではない。海中にあり、潮が引いた時だけ入れるのだ。温泉に入れるのは1日2回の昼と夜。干潮の前後、約2時間だけ入ることができる。しかも混浴。

「最終日は晴れるから、なんとかなるでしょ」僕は配られたドラゴンフルーツを食べながら言った。ここ何日か台風の影響で大雨。天気が良くても、波が高ければ温泉に入ることはできない。

「潮が引いていなくても、波が高くても、意地でも入る」僕が無理難題を話すと、「それじゃ海水浴じゃん」と返されてしまった。満潮になったら温泉は海に沈むし、波が高かったらただの海でしかない。

帰りの日程が決まっている。温泉に入るチャンスは残り1日のみ。屋久島のメインディッシュは平打海中温泉だと意気揚々と就寝した。

あくる日、ゲストハウスのオーナーに温泉に入れるか確認。すると、昼は高波の影響で入れないが、夜は問題ないとのこと。

夜になり、屋久島のゲストハウスに宿泊していた温泉難民を集め、混浴ツアーに出発。温泉への道は徒歩10分程度。街灯はほぼ無いに等しい。懐中電灯を借り、探り探り歩いて行く。

温泉に入れない期間が長かったせいなのか、平打海中温泉にはたくさんの人が集まっていた。温泉はゴツゴツした岩礁の中に、2メートルぐらいの大きな穴があり、その穴が湯船となる。

着替える場所はなく、岩陰で着替えをすることに。懐中電灯を消すと、1メートル先も見えない暗闇になる。気恥ずかしさはない。注意書きのような立て看板を見つけるも、暗すぎて何が書いてあるのか読めなかった。

温泉には入った。温泉としての効能や、泉質のの感想はない。なぜかというと、温泉に入った感想より、温泉から見る絶景がすごすぎたためだ。

目の前に水平線が見え、その真上に大きな満月。満月が海の上に映し出されてゆらゆらと揺れている。両斜め先にある岩礁に高波がぶつかり、どこかの映画のオープニングのように、繰り返し、繰り返し、波が打ちつける。波の水しぶきが目の前で飛び散る。

空を見上げると、数え切れない星。はっきりと天の川が見える。星をしばらく眺めていると、流れ星がなんどもなんども流れ落ちる。だいたい2分に1個ぐらいのペースだ。

温泉に入っている面々は、流れ星の多さに願い事を繰り返し唱える。温泉に入った直後「すごい」「キレイ」「わ〜」など、思い思いの言葉を口にしていたが、5分もすると無言になる。みんな絶景に見とれているのだ。

こんな絶景が見れた理由は、台風一過でいつもより空がすんでいたことが理由だろう。台風が理由の高波も、絶景を作るいい味付けになっている。

僕の人生の中でベスト3に入る絶景だ。

温泉からの絶景を見ていると、人間の心を見ているような気がしてきた。

空を見上げれば、曇り空だろうが、雨だろうが、嵐だろうが、雲をとおりすぎればいつも月がある。

人間は、仕事人間になったり、愛に溺れたり、ストレスを抱えて生きたり、自分自身に雲をかけてしまう。見えていた月が見えなくなり、自分を忘れてしまう。

自分を忘れてしまうと、自分の中にある、大きな不変の月のような、変わらぬ心をあることも忘れてしまう。でも、見えていなくても、いつでも月はある。

それは、海面に映る月を棒切れで叩けば、海に映る月は消えてなくなる。でも、空を見上げると月はいつもどうり輝いているのと同じだ。

人間は海面に映る月のように、幻の中を生きて、自分という本来の姿を忘れてしまう。

屋久島の大自然が、人間の心について教えてくれた気がした。

30分もすると、温泉に入っていた誰かが「そろそろ出ようか」と促した。温泉に入っていた人達は、一人が出るとみんな続いて温泉をでていく。僕も続いて温泉を出ようとすると、本来の目的を忘れていたことに気づいた。

「混浴で女体を拝みにきたんだ」

周囲を見渡すと、何人かの女性が月あかりに照らされて青白く光っている。ちょうど温泉から出ようとしたのか、勢いよく立ち上がる。女性はピチピチの水着を着ていた。僕の中にある大きな月に雲がかかった気がした。

(本来水着禁止です。立て看板に注意書きあり)

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