明治神宮で育った苗を全国へ!植樹ボランティアの旅

体験・取材・調査
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都会で暮らすことの生き苦しさと、出逢う屈託のない笑顔で生きる人々を対比し、生き方の選択肢の一つを知り、命を生き直し選択することができると感じた。

始まりは明治神宮。神聖な木々に宿す気を運ぶ。土地の力か神聖な自分にもなる。植樹地に命と土地のエネルギーを分け与えると、重要な仕事だ。

バスに木々を運ぶと、バスは鬱蒼とした森のよう。移動時間は長く、DVDの睡眠学習とはなったが、良き勉強にはなったと思う。

最初の茨城の植樹地に到着し30本の植樹を行う。腐葉土を見せてもらったが、カブトムシの幼虫が腐葉土に軽く1000以上はいるらしく、1匹1匹の大きさは通常の3倍、たとえるなら、一口かじったドーナツぐらいだ。

植樹地の場所は広い。木々一本一本の間隔も広く誰にも邪魔されず、自分らしく生きられる環境だ。数十年後には何割かは枯れてしまうようだが、よく育ってくれることを祈る。

帰り道に邪魔になった竹をみんなで破壊する。おもいおもいの方法で竹を倒す。かなり成長してしまった竹は、細かく揺らし、先端が大きくしなるようにするとうまく折れる。

折れる瞬間は面白く、次はあいつだ、次はあいつを倒してやると、時間を忘れて竹を倒しつづけた。強い竹ほど倒しがいがある。

田舎のもてなしがすごすぎる

旅館に到着し、唯一の自由時間で散歩。普通の魚屋にクジラが売っているのにはびっくりした。育ちの良い太ったしば犬が散歩していて、飼い主さんもまた育ちが良さそうだった。

旅館の女将に勧められた近所の神社と、武道館をみんなで散歩して、植樹でお世話になる方々との懇親会。

来た人々はかなりの飲みっぷりで、飲めや、歌えや、踊れやの祭り状態だ。見知らぬ人が訪ねて来て、これだけもてなし、これだけもちあげ、盛り上げてくれるとは思わなかった。

植樹という共通の目的が原因か、それとも土地柄、人柄なのか、理由はどうであれ良き人達だ。

勢いで飲めない酒をあおってしまったのは、自分の行為に後悔。風呂に入りに行ったら、真上が宴会場で盛り上がっている声が筒抜けで、部屋が宴会場の上だったが、これまた盛り上がっている声が筒抜けだった。結果みんな楽しければよいのかな。

広い幼稚園でみんなで植樹

浅い眠りと、短い睡眠時間、ほどよい高揚感と、二日酔い、なかなかよい気分だ。

二日目の植樹地には青年団や保育士さんや他の団体さん、多くの方が植樹に参加してくれる。

広大な幼稚園の土地、点々とする棒に赤いビニールがついていて、そこに穴を掘り、水を与え、苗を植え、土で埋める。人数の多さとやる気がある人が多いのか、あっという間に終わってしまった。園児のように元気にそだってくれるかな。

めずらしい花々の紹介をしてもらい、素晴らしい家の紹介。昔自分がすんでいた北鎌倉のシェアハウスをおもいだした。シェアハウスは古民家ではなくただのボロ屋、大工さんに任せた素晴らしい家は、新しい古民家風カフェといったところか。

薪ストーブは煙臭くないらしいが、うちで使っていた薪ストーブは、煙臭くてけむいといわれたこともある。そこらへんにある乾いていない小枝を集めてつっこんでいるのだから、それは煙臭くなるな。

素足で歩くと気持ちの良いところは似ているが、質はだいぶ違う。蛍が出るのも同じだが、きっと蛍の数が圧倒的に違うのだろう。

その家に住む夫婦はしあわせそうで、しあわせだからこういう生き方をえらんだのが、「こういう生活をしたから幸せなのか?」などと考えた。

薪割りをやらしてもらい、呼吸と心と体を整え丹田に意識を置き一気に斧を振りかざすと、何発かは外したが当たると意外にも真っ二つ。今回植樹をしてくれた人々にはわるいが、一番清々しく気持ちの良い時だった。

皆様の縁に感謝!

帰りのバスの車中で、今回の日記件感想文を書いている。月に一度なんらかのはボランティアをやろうと決めていて、ベースはホームレス支援をやっていこうと考えている。たまたま縁があり、今回は植樹のボランティアをやってみた。

今回のボランティアはボランティアというよりは、旅行に来たような気がする。ボランティアの活動時間の短さと、移動時間の長さと、地元の方々の交流が多かったのが、そういうことを考えた原因だろうか。

ただ良い旅行だった。みんなよく笑い、自由で、自然だった。今回お世話になった人々と、ありとあらゆる縁に感謝をします。

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