猫は人間の言葉をわかりしゃべることもできるが、あえて使わないだけと思った不思議な話

体験・取材・調査

閑静な住宅街と言ったら聞こえがいい。駅から15分以上、家の周りには何もなく、コンビニすら駅の近くまで行かないとない。車の通りもほとんどない道沿いに家はある。小学校の帰り道、車1台がギリギリ通れるような道を、いつもどうり体操袋を蹴りながら帰る。

「猫がいる」目の前の道を一匹の猫が横切った。車の通りの少ない住宅街では、危険が少ないことが理由なのか、野良猫がたくさん集まりのんびり過ごしている。静かな住宅街の大事な一匹の住人だ。

その時、後方からすごいスピードを出したトラックが、「ゴーッ」とうなり声を出しながら走ってくる。道の端から端へ横断中の猫が、道の真ん中でビクッと、トラックを見て立ち止まってしまった。「あっひかれる」視界からトラックが猫を隠した瞬間、「ぎゃっ」と悲鳴のような声と、何かがぶつかる鈍い音が同時にきこえたような気がした。トラックは気づいたか気づいていないのか、そのままスピードを緩めず閑静な住宅街を、轟音を立てながら走り去ってった。

最初に猫を見つけた位置から、だいぶ先の方に猫がぐったりと倒れている。遠目ではコンクリートの上で昼寝をしているだけに見えた。「大丈夫か」急いで近づく。横たわる猫を一瞥すると、猫のお腹にはトラックのタイヤのあとがしっかりつき、血だらけになったお腹から、中のものが見えてしまっている。猫はかろうじて生きている。どう考えても、今後生きられる状況ではない。むしろ今生きているのが不思議なぐらいだ。

苦しむ猫にこう声をかけた。「はやく逝け、はやく逝け」僕にできることは何もない。はやく天国に行ってもらうことが、猫にとって苦しまずに一番いい方法と思った。静かな住宅街とはいえ、車の通りがまったくないわけではない。このまま道の真ん中にいたら、またひかれてしまう可能性がある。近くにある電信柱の下に土が見えているのを発見し、そこまで移動させてあげようと考えた。

なるべく優しく猫を持ち上げようとすると、コンクリートと猫のお腹が、トラックにひかれた圧力が原因なのかしっかりくっついてしまい、持ち上げるときに「バリッ、バリッ、バリッ」とすごい音がした。

土の上に移動した猫は少し安心したのかもしれない。呼吸が優しくなった気がした。猫を撫でていると、いつのまにか、子猫が一匹、二匹と、どんどん集まってくる。最終的に五匹はいたと思う。おそらくひかれた猫の子供たちだと思う。子猫たちは「ミャーミャー」と思い思いに甘えている。親猫も子猫に甘えられて嬉しそうだった。

しばらくすると、親猫は僕の顔をじっと目を見つめてくる。何だろうと思って親猫に顔を近づけると、親猫はハッキリと「ありがとう」と言った。その言葉を最後に猫は天国に行ってしまった。子猫は親猫がなくなったことに気づかず甘え続ける。最後に猫が口にした言葉が日本語だったのをしばらくして気づいた。

 

この話は、ある舞台俳優さんが実際に体験した話だ。この俳優さんはバリバリの霊感の持ち主だったので、霊感のおかげで猫の言葉がわかったという可能性もある。

でも、そうではなくて、猫は最初から人の言葉がわかっていた。長い生活で人間と触れ合ううちに言葉を理解し、片言ではあるが話すこともできるようになった。でも、勉強した言葉を普段使う機会がなかった。猫生活をおくる上で話す必要性を感じなかったので使わなかったのではないか。

よく日本人は、「小学校から中学校の義務教育期間に、6年間英語を習ったけど話すことができない」と言われているのに似ている。6年間も習っていれば、話そうと思えば片言で話すことはできる。

日本人は、完璧な英語をしゃべれないと話しちゃいけないと思っているせいなのか、片言の英語で外国人と話すことを積極的にしようとはしない。それでいて、6年間でネイティブになることはなかなか難しい。

片言で話せるけど、片言で話すのは恥ずかしいから話さない。英語を話さない。必要性もない。英語を習って、何かしようと考えているわけでもない。英語を習っているのに、使わない習慣がついていき、最終的には日本語できれば十分となる。片言で何となく聞いたり、話せたりはするけど。

猫も、何となく日本語わかるけど、猫語で十分だから話さないだけだと思う。でも、最期の最期自分が天国に行くとき、助けてくれた相手に、相手のわかる言葉でお礼を言いたいと思い、「ありがとう」と日本語で言ったのではないか。人間同士でも、命を助けてくれた人が外国人だったら、相手の国の言葉でお礼をいうのではないか。

猫の最期の言葉は、どんな日本人の日本語よりも、心がこもっていたと思う。

 

 

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